2012年11月24日土曜日

人生の特等席

監督:ロバート・ローレンス

イーストウッドは朝目覚めるなり一人で愚痴ばかり言っている。あるいは亡き妻の墓石に語りかける。
ジャスティン・ティンバーレイクは、少年野球を見ながら自分の録音機に向かって実況中継をし始める。

このように、この映画の主人公たちは冒頭からして、ひたすら一方通行の発話をしている。

この二人の人物とエイミーアダムスを主軸に映画は進む。
エイミー・アダムスは何度もイーストウッドと対話しようとするが、イーストウッドはそれを真面目には受け止めず、全て受け流そうとする。そんなイーストウッドに腹を立てるエイミー・アダムスは、この映画で幾度となくイーストウッドに背を向けることになるだろう。イーストウッドもまた、その後ろ姿を茫然と見つめることしかできない。

エイミーアダムスをナンパした男を追い払った後のシーンでは、エイミー・アダムスとイーストウッドが言い争い、アダムスは部屋へ歩き、イーストウッドはその逆方向へと歩く。つまり二人はお互いに背中を向ける。その二人の背中を茫然とティンバーレイクが見つめる。

ティンバーレイクとアダムスが三塁側のスペースで野球を見るシーンでは、小気味良いやり取りのあと去ろうとするアダムスに、ティンバーレイクが「弁護士にしては知りすぎだ」と言うと、アダムスがティンバーレイクの方を振り返って「理由があるのよ」と誤魔化し、素敵な笑顔を見せる。

背中を向け合っていた人物たちが、徐々に心を開き、振り返り、そして向かい合う。

しかし人と人が向き合えばたちまち問題が発生する。それは彼ら、彼女らが今まで心に閉まっていた本音をついにぶつけあうからだ。
喫茶店でのイーストウッドとアダムスの言い合い、あるいはティンバーレイクの車の前に立ちはだかるエイミー・アダムス。

ああ、そして、お互いの本音をぶつけあった二人は、終盤のとってつけたような大味な展開を、ほとんど言葉もなく見つめ合い、頬笑み合いながら見届けることになるだろう。(そして観客もまた、そのイメージとともに、このベッタベタな展開を最高の気分で喜んで見届けることになるだろう)


イーストウッド、アダムス、ティンバーレイクの、「背中を見せる」、「振り返る」、そして「向かい合う」という運動をしっかりと捉えること。
車の窓越しにこちらを見つめるエイミー・アダムスの顔を、振り向きざまに最高の笑顔を見せるアダムスの姿を、子供のようにグラウンドを走るアダムスを見つめるイーストウッドの顔を、しっかりと捉えること。
物語がもつ重要な契機を、運動を、その豊かなイメージとともにしっかりと強調すること。


だからラストは当然、エイミー・アダムスの背中を見つめ、静かに去っていくイーストウッドの背中を捉える俯瞰になるわけだ。それは、それまでのディスコミュニケーション的性格の冷たい背中ではなく、信頼とか愛情とか照れとか、そういうのが詰まった暖かい背中だ。
まさにアメリカ映画の真髄。
超傑作。


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